塩見小屋訴訟【寺澤瑞恵の陳述書/再投稿】
1 私は、平成18年6月に、塩見小屋を管理していた青山敏樹さん(以下「青山さん」といいます。)に雇われて、塩見小屋の管理運営のアルバイトをするようになりした。当時、山小屋の求人情報のマッチングサイトを介して塩見小屋を知りました。私は17歳のころに、知り合いに誘われて登山をしたことがきっかけで、東京で社会人の山岳会に入っていたことから、山小屋で働きたいと思っていました。
塩見小屋の営業期間は、7月1日から10月15日まででしたので、小屋の開け閉めの準備のために5月から11月まで(初年度は6月から)塩見小屋で生活していました。営業期間中に山を下りることもありましたが、歩荷とヘリコプターで荷揚げをするための買い出し等を行う目的で月1回降りる程度でした。
2 私は、塩見小屋では、主に受付、売店の番、電話での予約、掃除、水汲み等を行っていました。毎朝3時50分に起きて、4時から朝ごはんの準備の手伝いをしました。朝ごはんの時間は4時30分と決まっていました。午前5時から午前6時の間にほとんどの宿泊客は出発しますので、その間に、宿泊客の見送りをしながら朝食を済ませていました。午前6時から午前9時までは、小屋の中を掃除したり、布団を干したりし、当日の宿泊客の受け入れ準備をします。午前9時からは、売店の番をしながら電話応対をしていました。お昼は売店の番をしながら、12時から午後1時の間にとります。午後3時ころからは、夕飯の準備を行いました。夕食は午後4時30分と午後5時30分に決まっており、ほとんどの宿泊者は午後4時30分に夕食を取っていました。宿泊者の消灯は午後7時30分と決まっていましたが、夕食を食べると寝てしまう宿泊者が多くいました。私たち従業員は片付けをした後に食事をしていたことから午後8時から9時ころに寝ていました。私がアルバイトをしている期間中、塩見小屋の管理運営は、青山さんが全てを行っていて、伊那市や伊那市観光株式会社が管理運営の業務に携わることは全くありませんでした。
3 平成21年7月22日に、当時の小坂市長、白鳥孝副市長、伊那市長谷総合支所長の中山晶計さん等の伊那市の関係者が塩見小屋に宿泊したことがありました。そのとき、登山をしている伊那市の職員からではなく、伊那市役所から何度も遅れるという電話がありましたが、どこにいるのか、なぜ遅れるのか等の情報が全くなく、要領を得ない電話でした。午後6時半ころに、伊那市の一行が塩見小屋に近づいてきましたが、青山さんは、外に出て、ゆっくり歩いたり止まったりしている伊那市の一行に対して、怒っていました。
小屋についた伊那市の一行に対し、私が、他の宿泊客に説明するのと同じように、トイレの使用方法の説明をしました。塩見小屋のトイレは、便袋を使用することから必ず宿泊客にはトイレの使用方法について説明することになっています。ところが、当時の小坂市長と白鳥副市長は、私の説明を全く聞く気がないという態度でした。私は、使い方を知っている人もいるかもしれませんが、聞いてくださいと話しましたが、それでも私の話を聞こうとはしてくれませんでした。そこで、私は、青山さんのところに状況を説明し、青山さんから説明をしてもらいましたが、それでも話を聞いてくれなかったことから、険悪な雰囲気になりました。
伊那市の一行が食事をした後、青山さんと従業員で食事をしていると、中山さんが白鳥副市長を連れてきました。私と青山さんは、中山さんと白鳥副市長と、ビール等を飲みながら話をしました。白鳥副市長は、塩見小屋にポンプアップをしたいとか、冷蔵庫をおきたいという話をしていました。私は、今の塩見小屋の状況にはなじまない設備の話をしているなと感じました。中山さんは、険悪な雰囲気のままではいけないと思い、白鳥副市長を青山さんのところに連れてきたんだと思います。
4 平成23年ころになると塩見小屋のリフォームの話が出てきました。信州大学の土本教授が視察に来ましたが、そのときは、塩見小屋の新築ではなくリフォームだと思っていました。それから、一気に塩見小屋の建替えの話が進み、平成26年から平成27年にかけて、塩見小屋は建て替えを行うことになりました。青山さんは、新しい塩見小屋の設計についてもかなり協力をさせられていました。
5 平成26年は、建替を行っていない小屋の部分を利用して、営業を行っていました。工事関係者のほかにも、一般の登山客も今までと同じように受け入れていました。
平成26年の塩見小屋の建替期間中に、工事関係者の現場監督の山寺さんと作業員の北原大司さん(以下「北原さん」といいます。)が塩見小屋の屋根に土足でのぼるということがありました。私たちは、塩見小屋を大切に使っており、屋根から生活用水である水を取っていることから、そのような場所に土のついた土足で上がることは考えられませんでした。
私は、山寺さんと北原さんに対し、靴を脱いでのぼってくださいと注意しました。すると北原さんは、「俺は伊那市長に言われて来ているんだ。」と伊那市の許可を得ているので注意をするなというようなことを言いました。私は、自分だけで対応できなかったことから、青山さんに電話をしました。青山さんは、伊那市から呼び出されていたことから、山を下りていましたが、電話を青山さんに代わってもらい、山寺さんと話をしてもらいました。青山さんからも、土足で屋根にのぼらないように言ってもらいましたが、全く聞き入れてくれませんでした。
6 平成27年は、もともとは新しくなった塩見小屋を利用して営業を行う予定でしたが、工事を円滑に進めるために、一般の登山客は受け入れないようにと伊那市の職員から言われました。平成26年9月下旬に塩見小屋の母屋が壊されてから、急に通常通り営業をしていいと約束していた話を覆されたような印象です。工事関係者は、新しい塩見小屋に宿泊しており、青山さんや私たちは、一般の登山客と同じように接客をしていました。
7 平成27年10月には、新しい塩見小屋が完成しました。工事期間中には、一度、塩見小屋の営業に必要な青山さんの荷物や私の荷物をヘリコプターを利用して下ろしていましたが、工事の完成に伴い、一旦下ろした荷物を全て再びヘリコプターで上げて、完成した塩見小屋の中に運び入れていました。平成27年9月末には、白鳥市長が林野庁の南信森林管理署の所長など10人くらいを連れて宿泊しましたが、そのときは、青山さんの個人の毛布を利用していました。その他、塩見小屋の中には青山さんの営業用の荷物や私の私物もありましたが、白鳥市長からは荷物を片付けるようにとの話もありませんでした。新しくできた塩見小屋に、私は、翌年の営業に備えて荷物を運び入れました。今までの塩見小屋には、従業員の部屋はなく、私は押入れの上の段のようなスペースを利用していましたが、新しい塩見小屋には、従業員の部屋が出来たことから、私はそのことがとても嬉しく、翌年からの営業を心待ちにしていました。百円ショップで従業員の部屋の飾りもたくさん買ってきれいに飾り付けを行ったり、部屋を使いやすくするように備品も新しくしていました。私たちは、翌年の営業に備えて新しいメニューを取り入れることについても話をするなど、翌年からの営業を楽しみにしていました。私は、翌年の営業の準備をし、平成27年11月上旬には山を下りました。
8 ところが、平成28年1月になって、伊那市観光株式会社は、塩見小屋の管理人を含む山小屋の管理人を公募すると発表しました。私は、今まで青山さんが長年にわたり塩見小屋の管理人をしていたのに、公募をすることはおかしいと思いました。私は、青山さんに対し、公募に応じるかどうかを確認しましたが、青山さんは公募には応じないで、管理人であることを認めてもらうために交渉するということでしたので、青山さんが管理人として認められなかった場合には、自分が塩見小屋の管理人になろうと考えて、伊那市観光株式会社の公募に応募することにしました。
9 私は、伊那市観光株式会社のホームページから公募の資料をダウンロードして、必要事項を記載して、郵送しました。その後、伊那市観光株式会社から書類選考に通ったので面接を行うとの通知があり、面接が行われました。面接は、高遠さくらホテルで行われました。私は、かなりの時間ロビーで待たされましたが、他の候補者は別の控室に通されていたようでした。面接担当は、伊那市観光株式会社の浦野総支配人、伊那市観光株式会社の白澤専務、遭難救助対策協議会の西村隊長、地元の山岳ガイドの4人でした。面接では、青山さんと連絡を取っているかとか、青山さんは公募のことを何といっているか等の本来の面接とは関係がないようなことを多く聞かれました。塩見小屋の批判みたいなことを言われたり、通常の面接とは違い雰囲気でした。しばらくして、伊那市観光株式会社から不採用の通知が届きました。
私は、面接の内容からして、真剣に山小屋の管理人としての適性を確認するような質問がなかったことから、面接は形ばかりであり、最初から管理人として採用する人が決まっていたのではないかと思います。
最終的に、塩見小屋の管理人として採用されたのは、三伏峠小屋の従業員の岡和宣さんでした。岡さんは、それまではほとんど塩見小屋に寄ることはありませんでしたが、平成27年秋に新しくできた塩見小屋の中をみたいと言ってきたことがあり、青山さんが案内をしたことがあったことから、そのころから管理人の話があったのもしれないと思いました。
10 平成28年6月下旬に、伊那市観光株式会社の代理人の長谷川弁護士から私のところに、内容証明郵便が届きました。私は、一従業員ですので、荷物を動かしていいのか否かについての判断もつきませんし、現実的にすぐに山に登ることもできませんでしたので、そのまま特に対応はしませんでした。
11 ところが、平成28年7月中旬ころになり、塩見小屋の中で保管していた青山さんや私の荷物が、勝手にヘリポートに下ろされているということを青山さんから聞きました。私は、その後、青山さんと一緒に、何度か荷物の確認と引き取りに行っています。私が目にしたのは、私たちが大切に使っていたものを、割れ物も、食品も汚物も同じように扱い、梱包もせずにすべてゴミのように扱っている状況でした。私が、従業員の部屋をきれいに飾り付けしていたものもゴミのように扱われていました。私は、本当に悲しい思いでいっぱいになりました。
12 私は、約10年にわたり青山さんと一緒に塩見小屋の管理運営業務に携わっていました。伊那市観光株式会社が突然公募を行ったことにより、私の人生も変わってしまいました。伊那市や伊那市観光株式会社は、塩見小屋の維持管理や運営に関する職責を放棄し、全て青山さんに任せていたことに加え、多大な損害と労力がかかる塩見小屋の建替工事を青山さんに強制した上で、新しい小屋ができた途端に、青山さんを切り捨てるようなやり方は全くおかしいと思います。私は、このようなやり方をした伊那市や伊那市観光株式会社を許すことができません。
以上