ー塩見小屋訴訟(陳述書)ー
前に投稿した「意見陳述」は、最初の法廷で述べただけのもので証拠とは別扱いの物です。マスコミを含め、第三者にこれから行う裁判の中身を知ってもらうという意味合いが強いもので、最近の裁判官は時短の為に、意見陳述を嫌う傾向があるみたいですが、そんな中、意見陳述を了承してくれた諏訪の裁判官には感謝したいです。
それに対してこの陳述書とは証拠として採用されるもので、意見陳述と重複する部分もありますが、今回、新しく作ったものです。
かなり長いですが、全文を投稿します。
【陳述書】
1はじめに
私は、奈良県の出身です。中学の時に入った山岳部の影響で山が好きになりました。大学を出てからは普通の会社に勤めていましたが、山で働きたいと思い、選んだのが塩見小屋でした。私は、平成11年から塩見小屋でアルバイトを始めました。それから、約20年、塩見小屋が私の人生の中心でした。ところが、平成27年11月に、私は例年と同様に、塩見小屋の片づけを行い、翌年の営業に備えた準備を行って下山しましたが、平成28年1月に入り、伊那市観光株式会社が塩見小屋の管理人の公募を行い、私との契約を不当に打ち切ったことから、私の塩見小屋中心の生活は一変してしまいました。私は、契約の相手方が伊那市が深く関わっている第三セクターであることから、私の権利を明らかに侵害するようなことはないだろうと信用していました。ところが、その結果が、不当な契約の終了を意味する管理人の公募でした。しかも、伊那市観光株式会社は、塩見小屋内に保管していた私の営業用の資産や私物を、私の許可なく、勝手にヘリコプターで搬出し、ヘリポート等に放置しました。このような違法な対応を、第三セクターが行ったことに強い憤りを感じます。
私は、既に、仮処分申請の際に作成した平成28年3月16日付報告書(甲第8号証)(以下「報告書」といいます。)を証拠として提出していますので、以下、報告書と重複しない範囲で、陳述させて頂きます。
2塩見小屋の管理人になった経緯
塩見小屋の歴史については、報告書1頁以下において記載したとおりですが、私と妻の裕子は、平成11年から同17年まで、私の前の管理人である河村正博さん(以下「河村さん」といいます。)のもとで塩見小屋の管理人の仕事を手伝っていました。その後、河村さんが塩見小屋の管理人を退くことを希望したことから、平成17年8月11日、私は、当時の長谷村長、河村さんとの間で覚書を締結し、以後、塩見小屋の管理人の仕事を引き継ぐことになりました。私は、河村さんから塩見小屋を引き継ぐ際に、河村さんが所有していた塩見小屋の設備・備品を、金〇,〇〇〇,〇〇〇円で買い取りました。このときの領収書が、甲第56号証の1の領収書です。また、このとき買い取った設備・備品の内訳が甲第56号証の2になります。
3塩見小屋の管理運営について
(1) 河村さんが塩見小屋の管理運営をしていたときから、塩見小屋の施設の補修は管理人が行うこと、宿泊料等の利用料金は管理人の収入とすることが合意されていました。私が、塩見小屋の管理人を引き継いでからも、塩見小屋の管理運営については、同様の扱いであり、平成18年5月1日付の伊那市との間の委託契約書(甲第2号証)でもその内容が確認されました。
(2) その後、伊那市が塩見小屋の管理について指定管理制度に移行することを決め、平成21年に、塩見小屋の指定管理者に伊那市観光株式会社が指定されました。伊那市観光株式会社が指定管理者に指定されると、伊那市及び伊那市観光株式会社は、突然、私に対し、塩見小屋の使用料を徴収すると言い出しました。最終的に私と伊那市観光株式会社との間で、平成22年4月1日付管理運営業務委託契約書を締結した経緯については、報告書第5項に記載したとおりです。
(3) 伊那市観光株式会社が指定管理者となってからも、塩見小屋の管理運営について、伊那市観光株式会社が関与することは全くありませんでした。塩見小屋の管理運営の実態については、報告書第6項に記載したとおりです。伊那市が伊那市観光株式会社を指定管理者に指定した他の山小屋(西駒山荘、長衛荘(北沢峠こもれび山荘)、仙丈小屋)では、管理人に対し委託料が支払われていましたが、私には委託料は支払われていませんでした。また、物品購入についても、他の3つの山小屋は、伊那市観光株式会社が共同購入し、支払事務やヘリコプターの手配も行っていましたが、塩見小屋については、従前どおり、物品の購入も、支払事務もヘリコプターの手配も、全て私が行っていました。施設の修繕についても、私が行っていました。
4 平成21年7月22日のこと
(1) 塩見小屋に、平成21年7月22日、当時の小坂伊那市長、白鳥副市長を含む11名が宿泊したことがありました。この日、伊那市では、三伏峠小屋付近での鹿の食害の対策として設置した柵の視察や、登山道の視察を行っているとのことでした。
(2) 塩見小屋では、翌朝の出発に備えて午後6時から7時ころには就寝する利用者が多いことから、食事の時間は午後4時30分と決めており、伊那市の一行にも予約時にそのことは伝えてありました。また、伊那市のパンフレットにも、山小屋には午後3時到着必須との記載をしてもらっており、登山者に対するアナウンスもしていました。
(3) 当初の予定では、伊那市の一行は、午後2時から3時の間に到着の予定でした。ところが、当日、伊那市の職員から到着が遅れると何回か電話があり、最終的に伊那市の一行が塩見小屋に到着したのは午後6時30分ころでした。
(4) 私は、伊那市の一行の到着が遅いことから、心配して登山道を見ていると、到着の時間が遅れているにもかかわらず、塩見小屋から数百メートル離れた付近で、ゆっくり景色を眺めている伊那市の一行を目撃しました。私は、伊那市の一行の態度に腹が立ってしまい、伊那市の一行に対し、大きな声で早く来るように怒鳴ってしまいました。
(5) 塩見小屋では、小屋に到着した全ての利用者に対し、トイレの利用方法等の小屋の使用方法等を説明することにしており、私と従業員の寺澤瑞穂さん(以下「寺澤さん」といいます。)が、伊那市の一行に対し、通常の説明を行いましたが、私が怒鳴ったことに立腹していた白鳥副市長は、私たちの説明を聞かないで、険悪な雰囲気になっていました。
(6) 午後6時30分以降、伊那市の一行が夕食を取ったことから、その後、私は、夕食の片づけを行い、寺澤さんと一緒に食事を取っていました。すると、そこに、中山晶計伊那市長谷総合支所長(以下「中山さん」といいます。)が、仲直りをするようにと言って、白鳥副市長と一緒に来ました。そこで、私、寺澤さん、白鳥副市長、中山さんは、4人でビールを飲みながら他愛もない話をして過ごしました。白鳥副市長からは、塩見小屋の水について、ポンプアップはしないのかという話があったことを覚えています。
(7) 私は、白鳥市長が、この日のことがあったことから、私のことを快く思っておらず、塩見小屋の管理人として、別の人をあてたいと考えていたのではないかと考えています。
(8) その他、この裁判において、伊那市観光株式会社は、私に対する多くの苦情が寄せられていたと主張していますが、私が、伊那市や伊那市観光株式会社から、登山者から苦情が寄せられているとして注意を受けたことも、改善を求められたこともありませんでした。
5 塩見小屋の建替への協力について
(1) 平成22年4月25日、白鳥市長が誕生すると、塩見小屋を建て替える話が急浮上してきました。私は、伊那市に対し、塩見小屋の建替後の、私の管理人としての立場と伊那市との関係を明確にするように再三にわたり求め続けましたが、話し合いの機会はなく、平成23年に入ると建替えの話だけが進んでいきました。伊那市観光株式会社との間でも、具体的な契約条件の変更や、契約の終了についての話は全くありませんでした。
(2) 平成23年4月ころから、塩見小屋の建替の話が具体的に出るようになってきました。平成23年7月には、信州大学の土本俊和教授(以下「土本教授」といいます。)が塩見小屋の視察に来ましたが、土本教授の話では、塩見小屋の工事はリフォームに近い形で行い古材を多く使いたいとの考えであるとのことでした。また、土本教授は、古民家再生の専門家であるということでした。私は、土本教授の話を聞いて、塩見小屋の建替えは、新築というよりは、小屋のリフォームのようなものだと思いました。
(3) 平成24年2月上旬ころ
私は、伊那市担当者、土本教授、クボタ建築設計事務所と同席し、伊那市役所において、初めて塩見小屋の改築についての打ち合わせを行いました。以後、私は、伊那市からの要請により、次のとおり、繰り返し、塩見小屋の改築についての意見を求められました。私は、自らが使用する塩見小屋であると考えていたからこそ、伊那市からの要請に応じて、協力を行ってきました。なお、同日の打合せにおいて、私が受領した資料が、平成24年1月31日付の「塩見小屋設計案について」(甲第32号証)です。
(4) 平成24年2月下旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成24年2月22日付塩見小屋設計案(甲第33号証)を受領しました。
(5) 平成24年11月中旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成24年11月6日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)既存配置図(甲第34号証)を受領しました。なお、このころは、塩見小屋の新築ではなく、改築を行うという話が前提となっていました。
(6) 平成24年12月上旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成24年11月28日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)既存配置図(甲第35号証)を受領しました。
(7) 平成24年12月中旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成24年12月12日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)既存配置図(甲第36号証)を受領しました。この打合せにおいて、私は、食堂棟と宿泊棟の屋根を共通にすることを要望しました。私が塩見小屋を利用している際に、棟と棟の隙間に雪が溜まり腐りやすくなっていたことから、屋根を共通にすること(一棟案という)を提案したものです。しかしながら、土本教授は、できる限りもともとの塩見小屋を残すことを希望していたため、一棟案に反対していました。このころになると、塩見小屋の改築工事の内容が、新築工事に近いものであることが判明したことから、私は、伊那市及び伊那市観光株式会社に対し、私の塩見小屋の管理人としての契約に変更があるのか確認しましたが、契約の見直しの話は全くなく、明確な返答は得られませんでした。
(8) 平成25年1月上旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成25年1月8日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)既存配置図(甲第37号証)を受領しました。
(9) 平成25年4月下旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成25年4月26日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)配置図PLAN(甲第38号証)を受領しました。同配置図PLANの1枚目は、宿泊棟Aと食堂棟の屋根が共通となっており、私の提案が反映された1棟案が採用されていました。
(10) 平成25年6月上旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成25年5月29日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)配置図PLAN(甲第39号証)を受領しました。同打合せにおいて、私は、クボタ建築設計事務所の提案が、A棟の玄関から客室に通じる通路部分が板張りの設計であったことに対し、土間に変更するように要望しました(甲第39号証2枚目左側の平面図の手書き部分)。山小屋では、雨の日に多くの人が一緒に来ると雨具を脱ぐ場所が必要であることから、土間の方がいいと変更を要望したものです。
(11) 平成25年8月上旬ころ
私は、伊那市役所において、塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、平成25年7月31日付平成24年度山小屋改築工事(塩見小屋)立面図(食堂棟・宿泊棟A)(甲第40号証)を受領しました。私は、当時、既に塩見小屋の管理人としての業務に従事しており、山の上にいましたが、山を下りて打合せに参加したものです。当日、私が受領した甲第40号証14枚目の計画配置図には、私が所有しているソーラーパネル5枚(⑦ないし⑨)及び私が所有している水缶(①ないし⑥)が記載されています(甲第40号証後ろから2枚目の外部表その他の①ないし⑨)。私は、これまで繰り返し塩見小屋の改築工事の打合せに参加し、私の要望を踏まえた設計図書がつくられていることに加え、私が所有している動産類も設計図書に組み込まれていること、本件契約の変更の話もないことから、新しい塩見小屋についても、本件契約が継続し、私が引き続き管理人としての業務ができることを信頼していました。
(12) 平成26年4月から5月ころ
建築資材や人件費の高騰から、伊那市が行った塩見小屋の公共工事の入札が不落となり、施工業者が決まっていませんでしたが、私は、雪かきを行って塩見小屋の営業をする必要がありました。そのような中で、私は伊那市から塩見小屋建設工事についてとの書類(甲第41号証)を渡されました。その書類では、塩見小屋の営業については、平成26年度については取壊予定のない食堂棟・宿泊棟での営業が可能であり、平成27年度は新設の宿泊棟Bで素泊まり営業が可能であるとの説明でした。また、食堂がないため食事の提供はできないが、売店営業についてはB棟内での販売は可能であるとの説明でした。
また、雪かきについては、平成26年度については、小屋の営業に関する部分については私の負担とするとのことであり、私が塩見小屋で従前と同様に営業をすることが当然の前提とされていました。平成27年度についても、新設の宿泊棟での営業が可能であるとされており、私が引き続き新しい塩見小屋で営業を行うことが当然の前提となっていました。
(13) 平成26年6月25日
同日、塩見小屋の施工業者が決まってから1回目の打ち合わせが行われました。私は、既に塩見小屋での営業準備を行っていましたが、伊那市からの要請があり、同打合せのために下山しました。同打合せは伊那市役所で行われ、伊那市担当者、施工業者及び私が参加しました。同打合せでは、伊那市担当者が施工業者に対し、塩見小屋の営業を優先的に考えてタイムスケジュールを決めるようにとの要望が伝えられました。 当日の打合せの議事録及び資料は、甲第42号証です。同日示された全体工程表(第1期工事平成26年)(甲第42号証後ろから2枚目)では、塩見小屋営業期間として「7月1日から9月24日」と明記されています。また、全体工程表(第2期工事平成27年)(甲第42号証最終頁)では、塩見小屋営業期間として「7月1日から10月15日」と明記されています。同日の打合せにおいても、私が平成26年度及び平成27年度において、塩見小屋の営業を行うことが当然の前提とされていました。
(14) 平成26年9月4日
ア 私は、伊那市役所に呼び出され、同日、原商工観光部長(以下「原部長」という。)、有賀観光課長、泉澤施設係長(以下「泉澤係長」という。)、西村主査及び伊那市観光株式会社従業員池上三千代さんが同席する中で話をしました。
イ その中で、原部長は私に対し、突然、塩見小屋の遅れ気味の工事に協力しなければ、私が新しい塩見小屋の管理人になれないかのような言動を繰り返し、私に対し、工事に協力することを強要する発言をしました。原部長と私のやりとりは録音しており、そのやり取りは、甲第62号証で提出した録音反訳のとおりです。
ウ 私は、原部長の発言を受けて、契約上は本件契約が自動更新となっていることから今後も塩見小屋の管理人を続けられるはずであると思いながらも、新しい塩見小屋になった場合も管理人としての地位を保証するとの文書もないような不安定な状況で、塩見小屋の建替えに協力しなければ契約を解除されるかもしれないとの思いを持ちながら、伊那市及び伊那市観光株式会社の指示に従うしかない状況に追い込まれていきました。
(15) 平成26年9月17日
ア 同日、泉澤係長らが塩見小屋を訪れ、私は、一方的に工事日程や工事関係者の宿泊費を下げること、塩見小屋の営業よりも工事を優先することを伝えられました。同日、私が受領した資料は、9月17日・18日塩見小屋建設工事に関わる協議資料(甲第43号証)ですが、協議をする余地のない一方的な通告であると感じました。
イ もともと既存の食堂棟については、平成27年7月以降に取り壊す予定であった(甲第42号証最終頁)ものが変更され、平成26年のうちに取り壊すことを伝えられました(甲第43号証)。また、既存建物の取り壊しに伴い、塩見小屋に保管している私所有の水缶その他の備品についても、一旦、ヘリコプターで下に下ろすことになりました。
ウ 私は、泉澤係長に対し、もともと営業を続けることが前提となっていたのに、急に変更をされては困ることを伝えましたが、泉澤係長は私に対し、これらの内容に従わないと上が何を言ってくるかわからない、上の指示であるというだけでした。
エ また、私は、平成26年度は工事関係者の宿泊代金を1人8500円と定めていましたが、泉澤係長から私に対し、平成27年度は工事関係者の宿泊代金を1人6500円とするように言われました。私が反発したことから、最終的に平成27年度の工事関係者の宿泊代金は1人7500円とすることになりました。
(16) 平成27年1月19日
私は、同日、伊那市役所において、2期目の工事についての打ち合わせを行いました。同打合せにおいては、主として雪かきの分担やA棟の設計仕様変更等について話し合いが行われました。甲第44号証が同打合せの議事録ですが、同内容のうち、「3.古材の利用について」「4.冬季避難スペース外部入口引戸について」「5.宿泊室通路について」「7.電気工事コンセント等について」「8.受付玄関にカウンターを付ける」「10.宿泊室2のはしごに角度をつけたらどうか?」の提案は私が行ったものです。
6 私が新しい塩見小屋の管理も行っていたこと
(1) 私は、塩見小屋の建設中も、新しい塩見小屋の管理運営については、引き続き私が行うことを前提として準備をしていました。伊那市観光株式会社からも、伊那市からも、新しい塩見小屋の管理運営について、私が行うことができないという話は全くありませんでした。私は、新しい塩見小屋の鍵についても、交付されており、新しい塩見小屋を管理していました。
(2) 平成27年10月9日には、新しい塩見小屋の営業施設を前提として、食品衛生責任者を私、有効年月日を平成27年10月9日から同33年7月31日までとする食品営業許可が出されています(甲第12号証)。これは、食品衛生責任者を私として伊那市観光株式会社が許可を取ったものです。長野県伊那保険福祉事務所の担当者が、施設確認検査に訪れましたので、そのときも私が対応しています。
(3) 平成27年9月下旬に、建替工事もほぼ終わりました。建替工事のために、一旦、ヘリコプターで下ろしていた、私の塩見小屋の営業に必要な水缶やその他の備品についても、新しい塩見小屋の完成に伴い、改めて新しい塩見小屋内に運び込みました。完成した小屋に私の動産類を運び入れたのも、伊那市の指示によるものでした。10月上旬、工事が終わって、職人や市の職員は下山しても、まだ片付けは残っていました。塩見小屋は雪が深いので、全ての物を小屋内にしまう必要がありました。トイレの部材、ソーラー、樋、そして水缶等。また、小屋内に雪対策のサポート(甲第25号証参照)もしなければなりません。これらの作業を終えるのに1カ月程度かかりました。
(4) このように、私は、平成27年の塩見小屋の営業を終えた後、翌年の営業に備えて準備をした上で、塩見小屋の中に私及び私の従業員の所有物を保管したまま下山しました。平成27年11月当時、塩見小屋の中には、営業用の資産として、鍋類・食器等の台所用品、便袋やトイレットペーパー等の備品、ソーラーやバッテリー等の設備品、かけ毛布やサンダル等の備品、プロパンやカセットボンベ等の消耗品等が保管されていました。
7 平成27年11月16日の白鳥市長との面会について
(1) 私は、平成27年11月に下山しましたが、下山した直後である平成27年11月16日に、伊那市観光株式会社の代表取締役でもある白鳥伊那市長と会うことになりました。面会の前に、伊那市の職員からは、市長には我慢して頭を下げて欲しいと言われました。
(2) ところが、白鳥市長からは、突然、塩見小屋の管理人を公募する予定であるとの話がありました。今まで、塩見小屋の建替えの前や途中において、何度も伊那市に対して、今後のことについての協議の機会を要請していたにもかかわらず、その機会が得られずに来ましたが、建替えが終わった途端、いきなり管理人の公募の話があり、まさに青天の霹靂でした。面会の前に、伊那市の職員からは、市長には我慢して頭を下げて欲しいと言われていたことから、白鳥市長に対し、反論することは差し控えましたが、市長との面会の後、伊那市の職員に対し、管理人の公募の件について問い質しました。伊那市の職員の話では、公募の話は確定したものではなく、12月議会で伊那市観光株式会社が指定管理者の承認を受けないと話はできないとしか答えてくれませんでした(甲第10号証)。
(3) 私は、塩見小屋を建て替えるにあたり、伊那市観光株式会社に対しても、伊那市に対しても、今後の契約内容をはっきりさせて欲しいとの申し入れを再三にわたり行っているにもかかわらず、その申入れを放置した挙句、新しい塩見小屋が完成した途端に、突然の公募発言。あまりにひどい仕打ちに、本当に辛く、悲しく、怒りは今も収まることはありません。あれだけ半強制的に工事協力をさせ、後片付けも任せておきながら、私の人生を何だと思っているのか憤りを感じました。
6 管理人の公募について
(1) 平成28年1月22日、伊那市観光株式会社の浦野総支配人から、私のところに、突然電話があり、塩見小屋の管理人を公募することになった。1月25日に公表するので公募の書類を取りに来るようにとの話がありました。
(2) 私は、あまりにも一方的な話であり、全く納得することはできませんでしたが、どのような公募条件なのかを確認するために書類は受け取りました。公募の条件を確認すると、塩見小屋を管理運営する上で、必要になるはずの食品衛生責任者や保安業務員の資格についての記載もありませんでした。加えて、管理人の公募要領では、塩見小屋のほか、西駒山荘、北沢峠こもれび山荘、仙丈小屋の管理人についても同時に募集をしており、勤務地については、採用決定後に本人の希望を考慮し決定する。ただし、本人の希望に添えない場合もあると記載されていました。山小屋は、山小屋ごとに大きな違いがあるにもかかわらず、このような募集条件を出していること自体、全く理解できませんでした。私は、公募という方法を取ることにより、私を塩見小屋の管理人から外そうとしている伊那市観光株式会社の意図を感じたため、管理人の公募には応じないという苦渋の選択をすることにしました。
(3) 私は、山小屋の管理人の公募内容が明らかになった後、北沢峠こもれび山荘(旧:長衛荘)の管理人の竹元直亮さん(以下「竹元さん」といいます。)に電話をしました。
竹元さんは、こもれび山荘も公募になることを知って、このような状態で山岳関係者の集まりに行っていいのかわからないという話をしたり、公募をすること自体、否定的な会話をしていました。竹元さんは、公募に応募しないという選択肢があるということも話をしていました。
ところが、平成28年1月23日に、私が竹元さんと電話で話をしている最中に、伊那市観光株式会社の浦野総支配人から電話が入ったということで、一度、竹元さんは、電話を切り、後で改めて話をすることになりました。しかしながら、その後、私は、何度も竹元さんに電話をしましたが、竹元さんは、以後、電話に出なくなってしまいました。
平成28年2月になって、竹元さんのフェイスブックを見たところ、竹元さんが、平成28年2月9日に伊那市役所で行われた山岳観光関係者と経済建設委員会との懇談会に参加していたことがわかりました。
(4) 私は、伊那市観光株式会社が突然山小屋の管理人を公募したことが納得いかなかったことから、平成28年2月4日に弁護士に相談をし、平成28年2月15日付で、伊那市観光株式会社に対し、通知書(甲第16号証)を送付し、塩見小屋の管理人の公募を取りやめた上で、新築された塩見小屋における管理運営委託契約の条件について協議を行うことを申し入れました。しかしながら、伊那市観光株式会社は、山小屋の管理人の公募を断行しました。
(5) そこで、私は、長野地方裁判所伊那支部に対し、塩見小屋の管理人としての地位を仮に定めることを求めて、仮処分命令の申立てを行いましたが、不当にも、私の申立ては認められず、平成28年6月9日付で、私の申立てを却下するとの判断がなされてしまいました。私は、長野地方裁判所伊那支部の判断に不服があったことから、東京高等裁判所に対し、抗告の申立てを行いました。しかしながら、不当にも、平成28年7月5日、抗告を棄却するとの決定がなされてしまいました。
7 塩見小屋内の動産類の撤去について
(1) 私は、仮処分が認められなかったことから、今後の対応をどうしようかと考えていましたが、平成28年7月14日、代理人をお願いしていた弁護士の齋藤先生からのメールで、私が塩見小屋で保管していた荷物の一部が既に大曲のヘリポートに下ろされていることを知りました。
(2) 私は、第三セクターでもある伊那市観光株式会社が、私の同意もなく塩見小屋内の動産類を搬出することなど全く予想していなかったことから、驚きとともに、強い憤りを感じました。
(3) 私は、勝手に搬出された動産の状況を確認するために、平成28年7月20日、竹腰工業倉庫に、寺澤さんと一緒に行きました。そのときは、伊那市役所の商工観光課の宮下係長と伊那市観光株式会社の浦野総支配人が立ち合いました。私は、そのとき初めて搬出された動産類を目にしましたが、梱包もせずに乱雑に荷物が運ばれていたことから、食器が割れていたり、使えるものも使えないような状況になってしまっていました。ヘリポートに放置されていたためか、段ボールは濡れている状況でした。食品も熱い倉庫の中で保管されていたため、腐ったり、虫が湧いているものもありました。私は、その日、自家用車で行ったことからあまり多くの荷物を引き取ることができませんでしたが、まだ食べられる食品を中心に持ち帰りました。
(4) 次に、荷物の引き取りに行ったのは、平成28年8月25日でした。そのときは、竹腰工業倉庫に行きましたが、既に荷物は全くありませんのでした。荷物の保管場所を確認したところ、竹腰工業倉庫から廃園になっていた高遠第四保育園に荷物が移動されていることがわかりました。そのときは、できる限り荷物を引き取ろうと考えて、平ボデーの4トントラックを借りて行きました。
(5) その後も、何度も荷物を引き取るために高遠第四保育園に通いましたが、仕事の都合もあり、なかなか引き取りの時間を取ることができませんでした。私は、現在、皿洗いのアルバイトで生計を立てています。また、引き取った荷物を保管する場所も必要になることから、自宅の部屋で保管しているほか、自宅に仮設の倉庫をつくって、現在でも保管しています。
(6) 搬出された後の動産類の状況を写真撮影したものが甲第53号証であり、その説明をした文書が甲第54号証になります。
8 私が、塩見小屋を引き継いだ当初から一緒に働いてくれた従業員の寺澤さん。女性だというのに食堂わきの1畳、高さ1mにも満たない窮屈な押入れの中で寝泊まりし、頑張ってくれていました。そして、新しい小屋では、小さいとはいえ、初めて従業員室が出来て、とても喜んでいました。寺澤さんは、100円ショップで買ってきた飾りを嬉しそうに新しく出来た従業員室に飾り付けてから下山しました。しかし、再びこの部屋に戻ってくることも出来なくなり、本当に申し訳なく思っています。そして、その飾りは勝手に部屋から運び出され、保管場所でゴミのように捨てられているのを見たときはとても辛かったです。私が長年にわたって使用してきた塩見小屋の備品もゴミ同然に保管され、壊されていました。まだ使えるものなのに、私の塩見小屋での17年間を全て否定されていると感じました。塩見小屋という私の人生の中心を返してもらいたいと思います。
以 上
青山敏樹